エッセイ

継続は力

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Jersey City Marathonを走った。

去年、30Kmの時点で足が止まり、そこから12Km歩くという苦行を味わったので

今年何とかリベンジしたかった。

春のマラソンは、冬にトレーニングをする必要があり、冬の寒さや何やらに言い訳して、あまり準備ができなかった。

それでも25Kmを練習で走れたら、本番は35Kmまではアドレナリンや周りの応援の力で走ることができて、そこから7Km気合で押し切るというのを信条に走った。実際、最後に応援してくれた人たちがいて嬉しかった。

去年と同じレースなので当たり前なのだけれど、景色に既視感があり、ここで足が止まったなとか思い出す。

ただ、去年は雨のち曇り、今年は晴れと天気が違って、天気が違うだけで街の見え方も違うとは思った。

マラソンも何もかも、高みを目指せばきりがなく、4時間半をやっと切るかどうかの僕は、タイムを伸ばすことに熱くなれそうもない。4時間を切るのですら、トレーニングを継続する必要がある。3時間を切る人はなおさらだ。

少し話は変わるけれど、このように文章を書くという行為が好きであり、勝手気ままにやっているけれど、この書くということすら、定期的に継続することはできていない。

僕は小学生のころ、毎日日記を書いていて、その頃だって、色々とそれなりに忙しかったけれど、書くことができていたのに、今はその時の自分にすら劣っているのかと時々思ってしまう。

書くことができなくなる要因も様々に存在する。単に忙しかったり、仲間とお酒を飲みすぎてしまったり、素敵な文章を書きたいと思うばかり、文字を打つ手が動かなかったり、たまにそもそも文章を書く気分ではない日だってある。

でも、それでいいのだと思うこともある。そんなに自分自身を縛りすぎないでいい。

こうして文章を書くからには、自分と携わった範囲でいいので、誰かに何か響くものがあればいいとも思うけれど、そう言う考えだって、少し奢った考えではある。

何か響くような文章ではなければ、書いてはいけないというものでもない。

継続するには、自由さが必要だ。

そもそも、継続するってどういうことなんだろうとふと考えていたら、ダルビッシュ有がいいことを言ってくれていたので、最後に共有したい。

別に、間隔があいても継続だというふうに落とし込めればいい。そういうことか。

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