エッセイ

Holiday Season

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NYのHoliday Seasonはライトが輝いて、街中が華やかだ。

この季節を迎えて知ったのだけれど、大々的にChristmasという宣伝をすることよりも単にHolidayと銘打つことのほうが、一般的らしい。

それは、異なる宗教の人たちが多く暮らすアメリカならではかもしれない。

日本では、国民の多くがキリスト教ではないのに、Christmasとの呼び名が定着して、それを受容している。それも日本ならではか。

この時期、段々、仕事はSlowになってきて、だれもかれもが、家族とのHolidayに浮足立っている。

プレゼントを贈りあって、それを開く楽しみというのがあるだろう。

こちらでは、アパートの管理人たちに、チップをあげる文化があって、先日近くの友人と、いくらあげるのが適切かという話になった。

一つのアパートに何百世帯と入っているのだから、それなりの額になる。それだけの仕事をしてくれているか、そういう目線で考えた方がいい、むしろ、マネジメント会社がチップをあげるべきだということになり、やはりお金が絡むと現実的な話になるものだと思わされた。

それに代わってという話ではないけれど、プレゼントをもらった。

やっぱり、プレゼントは、開けるまで、何が入っているのかわからないことに楽しみがある。

小さいころ、クリスマスに親からキャッチャーミットをもらった。キャッチャーではなかったけれど、キャッチャーミットというもの自体に憧れていた。あの格好良さはなんなのだろう。ボールを凄く受けるわけでもないのに、毎日よく磨いていた。

そのキャッチャーミットは、箱に入って、渡されたのだけれど、箱自体が大きな直方体で、何が入っているか開けてみないとわからない楽しみがあった。いつか、あのようなプレゼントを誰かに渡したい。

Holidayは、年末年始につながっていて、あっという間に年末が来てしまう。

今、日本を離れているからか、日本の年末の過ごし方に思いを馳せる。

僕が好きなのは、あまりやっている人はいないかもしれないけれど、落語の「芝浜」を聴いて、一年の終わりを迎えるというものだ。このお話、ここで深く触れるのは控えるけれど、年末に、心温まるにはもってこいだ。

ちなみに、僕は今年もう芝浜を聴いて、そういう意味で年越しの準備は万全だ。

お酒はやめられないけれど、今の生活が夢だったら、それはそれで困る。

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