エッセイ

Sushi

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多くの日本人が、日本人の板前さんが握るお寿司しか食べたことがないし、それ以外、食べようとしないと思う。僕だってそうだ。

近くにお寿司屋さんがあると知って、行きたいと思っていた。

寿司、平政。店づくりが良くて、日本っぽさを感じる。

この前も書いたけれど、突然、そういうところに行きたくなる気持ちを抑えられない。

今夜、そういう気分だった。

Open tableで予約して、平政に18:30に向かった。2階建てだけれど、1階の席で握ってもらった。

握り手に、日本人はいなくて、全員、アメリカで寿司を握り始めた人だという。正直、行ってから知った。

ただ、寿司のネタは、豊洲から冷凍ではなく、冷蔵で運んでくる。

先ほども書いたけれど、日本人以外に、握ってもらう寿司、対面のカウンターで握ってもらう寿司というのは初めてかもしれなかった。

だから、なんだというのか。

日本人は、日本人に対する信頼感や、崇高な気持ちが強いと感じる。僕もそうなのだ。

寿司は、日本人が握って、それを食べるのが通常で、それが最高なものだと考えがちだ。でも、本当にそうだろうか。確かに、日本人が握るお寿司はおいしくて、素晴らしい。でもそれ以外もあってもいい。それも、別に、レベルの低い寿司屋ではなくて、ちゃんとした寿司屋であっても、日本人ではなくていいのだ。

日本人にこだわっているのは、日本人ぐらいで、ブロードウェイでは、白人の役を黒人が担っている。

白人の役であるべきだという概念すらないのかもしれない。いや、あっても、それを認めていくのがアメリカか。白人主義だって、この国にはあるけれど、それ以外を認めていく者もいる。

ここまで書いておきがら、逆説的だが、日本人が握るお寿司しか認めないという、少し閉鎖的かもしれない、限られた面しか認めない、考え方があってもいいと思う。それだって、何が悪いか、言い当てられない。

お寿司のおいしさとは別に、考えさせられた夜だった。

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