エッセイ

First one year

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NYに来て1年が過ぎた。この1年は、1日1日、カレンダーをめくるように過ごすという感じで、密度が濃かった。

アメリカという国への憧れも、正直あまりなかった。ただ、NYという街は、ビジネスをやっている身として、一度は触れてみたい街だったけれど、それは、住んだり働いたりしないとわからないことでもある。

最初の1か月くらい、サービスアパートメントに住んでいて、そこは快適だったけれど、暗い印象で、今でも、その時の暗さをふと思い出す。

この1年で、日常的に料理をするようになったけれど、最初の頃の失敗談は数知れず。特に、おいしそうだと思って買ったチキンに、なかなか火が通らなかったり、硬くなってしまったのには、辟易とした気分になったのを覚えている。もうあまりチキンは焼いていない。

土井義晴という料理人が、「一汁一菜でいい、料理に失敗なんかない」と言っていて、救われた。正直、涙が出るくらい嬉しかった。最初からうまくいくわけなんてなく、今ではよく作るようになったサーモン、ステーキ、麻婆豆腐も、最初の頃の失敗があって、今がある。そういう意味で、失敗なんてない。

アメリカの色々な都市にも足をのばすことができた。まだ道半ばというか、4分の1くらいの気持ちでいるけれど。よく、「全米が泣いた、全米が震撼した」とか、日本ではキャッチフレーズ的に使われるけれど、全米というのは、概念に過ぎないのではないかと思う。

アメリカは、州によって、規制が異なり、都市によって、人種構成も異なる。都市の中でだって、マイノリティーが暮らす地域もある。ジェンダー、LGBTQへの多様性、ESGへの取り組み方、何一つとっても、全米で足並みをそろえて、やっていこうという考え方は、あまりないのではないだろうか。それと同じで、何かビジネスをするうえでも、全米単位で考えると見えてこないものがあるように感じる。

それに比べて、日本は、とかく、足並みがそろいがちな国だ。地方自治と言いながら、東京都だけはマスクを緩和するというようなことにならない。

NYで働いて、もう1つ、小さなことなのだが、違いを感じるのは、同僚の年齢を知らないし、聞かないということだ。

日系企業では、これまた、一般的だと思うのだが、先輩、後輩の上下関係が自然とあり、年齢を把握している。年齢を把握することで、自分より後輩に対しては、なんだか、上に立つ気持ちでいることも正直あるし、先輩に対しては、立てていくという気持ちにもなる。たまに日本のバラエティーを見ているけれど、芸能界においても、この慣習が強く残っているように感じる。

ただ、これって、思考停止状態なのではないかと最近、思い始めている。もちろん、年齢に関係なく言うべき場面は言うということなのだろうけれど、それだけではない、日常のちょっとした立ち振る舞いで、数字は単にNumberに過ぎないということをもっと意識して過ごした方が、素敵に過ごせるのではないかと感じている。

少し脱線した感があるので、戻したい。

そういえば、この1年は沢山の人がNYに来るのを迎えた年でもあった。公私問わず。そのなかで、1月に仕事関係でいらした方に、「プライベートでも、なんでもいいので、自分が落ち着ける、余裕を取り戻せる場所や仲間を見つけたほうがいい」という言葉をもらった。

その言葉を噛み締めている。

海外で暮らすことは、思ったよりも孤独感があり、それゆえに当たり前だけれど、家族というものの絆を感じる。近所で仲良くなった日本人たちに補ってもらっている面もある。日本人同士で集まることへの、なんだかわからない後ろめたさなど、もうない。

落ち着ける関係というのには、文化的なバックグラウンドが一緒であるという意味も含まれるのだと、身をもって感じている。

振り返りの文章としては、脈略のない感じになったけれど、それだけ、まとまらないのが、今時点の良さでもあると思っている。きっとそういうことなのだろう。

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