エッセイ

目玉焼きの幸せ

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朝目覚めたら、自宅のものと違う壁が目の前に広がっていた。

どうやら前日にお邪魔したお宅のソファーベッドで目覚めたらしいと気づくまでにしばらく時間がかかった。

こんなに壁に写真を掛けていないよな、うち。

夢か。でもなんだか、手触り感がある夢だな。

駐妻になった先輩のお宅にワインを持ち込んで、その家族は飲まないので、1人呑んでいた。

こうやって、のこのこと、家族がいる方のお宅にお邪魔して、その上、1人注ぐがままに呑んで、朝を迎えるなんて、自己嫌悪するのに充分な状況で、

なんだか、申し訳ないのだけど、笑えてきた。

朝を迎えて、家族が起き始めた。

その先輩が、朝ご飯を作ってくれると言う。

もう、これだけ甘えている状況なのだから、お言葉に甘えることにした。とことん行こう。

「目玉焼きでいい?」

むしろ最高の選択肢の一つだ。それ以外ない。

目玉焼きがキッチンで、ぐつぐつと音を鳴らしながら焼かれ始める。ちなみに写真のキッチンは自宅のもの。

フライパンに蓋をして、少し水を入れると、シューッという音とともにいい香りが立つ。

ご飯とお味噌汁と、のりまでつけてくれる。

「僕はお酒飲まないけれど、二日酔い明けのお味噌汁とか、最高でしょ」

旦那さんが優しく接してくれる。

家族がいる生活というのは、こういうことかと思うに至る。

男性女性の区別の話をするわけではないけれど、女性には母性があり、男性には父性というものがあるとしたら、目玉焼きを作ってくれたり、朝ご飯を出してくれるのは、母性から来るものだと感じる。

西海岸の友人の家に泊まった時も思ったのだけれど、朝起きて、自分以外の誰かが、朝ご飯を作ってくれるというのは、なんと幸せなことか。

目玉焼きが沁みた。

もう十分に長居していたのだけれど、これ以上家族の時間を奪ってはいけないと思って、足早に帰宅した。

曇り空がそれほど暗く感じない朝だった。

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