エッセイ

11月のNY

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米大統領選を前に、少し呑気なトーンで筆の走るがままに、キーボードを打つがままに書いてみたい。

以前、11月のワシントンDCが好きだという文章を書いたが、NYも11月が好きなのだと気づく。

前の投稿にもこれまた書いたけれど、今年は8月下旬から公私ともに色々な予定を組んだが故に、都市を2週間ごとくらいに飛び周り、11月を迎えてやっと、落ち着いた。

これから1か月半くらいはずっとNYにいることができる。それが思いのほか落ち着くことだとわかり、安心している。

もっとNYを深堀することがこれから先のテーマであり、もうそんなに飛び周らなくてもいいと思っている。

この間、景色のいい展望台のレストランで会食したときに、「あの建設中のビルなんだっけ?」というふとした問いに答えられないという一幕があった。

気に留めなくてもいいくらい、さらっとしたやり取りだったけれど重く受け止めた。

NYに住み、不動産を扱いながら、そりゃ知らないことも多いけれど、それくらい知っていていいよなと自分に投げかけた。

深堀というのは、知っていることをさらに突き詰めていくということだと思う。

何も知らないということが恥ではなく、そのままにするのが恥だと誰かが言っていた。

最近、仕事でも少し不慣れなことに取り組んでいて、周りの誰かがやった方が適任なのになと思いながら、やり始めてみると知らないことの多さに気づかされ、やはりここでも深堀が必要だと思わされる。

なぜ、こうなっているのか、そう思うのかと深く自問自答することで、真理にたどり着けるのだとか。

そういえば、僕はなぜ11月のNYが好きなのだろうか。

少し肌寒くなってきて、朝、ベッドから起きるのが億劫になるそんな気温。

街がハロウィンからサンクスギビング、ホリデーシーズンへと彩を加え始める。

文字通り、セントラルパークの木々は色を変え、街のイルミネーションは輝きを増す。

ビジネスはまだまだ回っていて、それでもみんな、今年の終わりに向かってやっぱり走り始める。

走るのは師だけではなく、日本だけではなく、それはみんな同じ。

誰かにあげようとするプレゼントをやっぱりどこか頭の片隅に考え始める。

多くの人にとってお祭りであるNYマラソンが終わって、NYのホリデーを味わおうと世界からまた人が集まる。

その中で暮らす僕らは、メリーゴーランドの中心にある動かない柱のようだ。

回っているのは風景と外側の木馬だけ。ただ、回る光景が輝きを増して迫ってくるように感じる。時にはスローモーションで。

大統領選の結果だって、今後の金融政策だって、ひと時もそこにとどまっていない国だということを認識させられる。

せめてホリデーシーズンだけはちょっと一呼吸置こうよ。だから、今はそれに向かって回っていくよ。

街が、お祭りの後の香りを残したまま、また次のお祭りに向かって回っていく。

初めてNYに来た時、11月だったけれど、もちろんそんなことを感じる余裕もなかった。

今は街の香りを感じられる。

それが11月のNYを好きであることにつながっていると、この文章を書いていて思えた。

みなさんもよい11月を。

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