エッセイ

さっぱりと、やめてみること

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仕事をしていると自分の時間は有限だとみんな気づくと思う。

それは人生でも同じ。有限な時間をどう使うか、無為に過ごす時間も人生の一部。

僕は何でもやってみればいいという単純な思考回路を持っている一方で、

やらないことを決めること、さっぱりと何かをやめてみることも大事だと思っている。

例えば、僕は絵を描いていない。これからも描こうと思わない。

フルマラソンも3回走ったけれど、もうフルマラソンを目指して走るのはやめようと決めた。

走るとしても、風景を楽しみながら近くの公園を1周するので十分だ。絵を描く代わりに文章を書きたい。

家族や友人、大切な人との関係は、さっぱりやめるわけにはいかないし、そうできるとも思わないけれど、少しドライなようだが、いつもその人たち全員に会えるわけでもない。

場所やタイミングが合わずに、気づいたら何年も会っていない大切な人たちもいる。

その時々で、誰と時を共にするか、共にするのをやめるのかを決める必要に迫られる。

さっぱりとやめるということを大事にしながら、それは結構痛みがある。

やらないことを決めると、他のことに時間を使えると思うかもしれないが、そうはいかずに、だらだらと過ごすこともある。

でも、やらないことを決めると宣言すると、そう宣言したからには何か他のことをやろうという気持ちにもなってくる。

やらないという選択にだって当然のごとく、責任がつきまとう。

この間、この文脈にはそぐわないかもしれないし、小さなことなのだけれど、来客者とのミーティングを終わって、僕の会社の人がエレベーターに乗って下の階まで見送りに行ったことがあった。

僕は、それをやらなかった。

全ての方をエレベーターで下まで見送るという対応をしているわけではないので、やめようとその時に判断した。

仕事云々というよりは、人としてあの判断でよかったのだろうかと、小さなことかもしれず、こんなことに普段はいちいち気を留めていないのだけれど、ふと振り返るのだった。

それよりも大きな「やらないことを決める」判断をした時には、言わずもがなである。

それでも、「やらないことを決めること」や「さっぱり、やめてみること」をやっぱり大事にしたい。

大袈裟なようだけど、それが人生の戦略であると思うからだ。

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