エッセイ

答えは自分の中にあるか

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たまに、答えは自分の中にあるという言葉を聞く。

そうなのかなと疑問に思うことがある。でもふと自分が何を探しているのか気づかされることはあるとは思う。

先日、ミッドタウンで好きなギリシャ料理を食べながら会食をする機会があった。

発明王トーマス・エジソンの話になって、お金儲けなど関係なく好きなことを追求していく姿勢が素晴らしいという話に転じた。エジソンは同じ場所に住み続けて、ずっと発明を繰り返していた。

やりたいことを思うがままにやっていく。それが結果として社会の役にも立ったというのが彼の人生なのだろうか。僕はそれすらよくは知らない。伝記を読んだことはあったけれど。

エジソンと聞くと、水曜日のカンパネラのThe First Takeが目に浮かんで、そちらのエジソンではないのだけれどなと思いながらも、でもあの歌はエジソンの本質を突いているのかもしれないとも少し思った。

踊る暇があったら発明してぇ。

印象派の絵画の話にもなって、ふと、先日クリーブランド美術館で観た睡蓮の池の絵を思い出した。

クロード・モネも、ジヴェルニーの庭をそれこそ色々な角度から描き続けた。あの光の当たり具合の描き方はずっと見ていても飽きない。

いや、それは嘘。

美術館に行って、どんなにいいなと思う絵を見ても、ひとところには留まっていられない。

SanDiegoPadressで活躍する松井投手が高校2年の時、甲子園ですごい数の三振を奪った試合があった。あの夏の日、上野の美術館にフェルメールの真珠の耳飾りの少女がやってくるというので、僕は暑い中、すごい時間をかけて並んだ。

日本の美術館は入場制限がありながら、一つの絵に、人だかりができる。その日もすごい人だかりだった。

アメリカでは一つの絵を一人の人が美術館では独占できる。しかも時に無料で。そういえば、お金は関係ないのだったね、エジソンさん。

あの日、松井投手は22個の三振を奪っていた。僕は車についているテレビで切れ味鋭いスライダーを観て、そしてフェルメールの耳飾りの少女を観たのだった。なぜか、その日を今でも覚えている。

ギリシャ料理を食べながら、文章を書くのが好きだとその場にいた方々に伝え、食事を文章で伝えるのは難しいと言われた。美術や絵画の話もしたけれど、それも人に文章で伝えるのは難しいと思った。

ただ、どこかに足をのばすというそのきっかけは絵画であってもいいかもしれない。真珠の耳飾りの少女の美しさを書き表すことはできないけれど、僕の人生の一日との接点をこうやって書き記すことはできる。

今でも真珠の耳飾りの少女のコピーをどこかで見かけると、あのバッタバッタと三振を奪っていたサウスポーを思い出す。

そういうのは僕だけなのだろうと悦に浸っている。

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