エッセイ

スタンプラリー

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子供のころ、スタンプラリーが好きだった。

特に覚えているのは地下鉄とライオンキングがコラボしたスタンプラリーで一駅一駅集めるのが楽しかった。絵柄や色、キャラクターが駅ごとに違う。

スタンプ帳を見て、まだこの駅は行っていないな、集めた中でどのスタンプが好きかと一人で品評する。

一人っ子ならではの遊びなのかもしれない。

こうした地下鉄スタンプラリーのおかげで、徒歩通学だったけれど駅名や路線図をよく覚えられるようになったと思う。それは少なからず、その後にも生きるものだった。

スタンプを集めることが目標だけれど、当然、その駅一つ一つに降り立つ。スタンプだけを集めて駅の構内だけで終始することもあれば、親に連れられて行っていたわけなので、親の都合かもしれないけれど、その駅の周辺で少し休憩することもある。そんなときに、自分の住む街との違いを肌で感じた。

同じ東京でも沿線を乗り継いでいくと、ずいぶん風景が違って遠くまで来たように感じた。

下町の方に行けば、なんだか人との距離は近く、雑多な印象で、品のいい住宅が立ち並ぶ駅に行けばここにも住んでみたい、いや今住んでいるところのほうがいいと子供ながらに思ったものだ。

スタンプラリーには明確なゴールがある。スタンプを全部集めればそれで終わり。スタンプを集めきったからと言って、何か大きなご褒美がもらえるわけではなかった気がする。メダルでももらえただろうか。

でも後々気づくことがある。そこに行ったことがあるというのが大事なことなのだと。駅に降り立って、匂いや音を感じる。ここに行ったことがあるというのが少しではあっても自分の人生を広げてくれる気持ちになる。たとえ、スタンプラリーが目的であったとしても。

今でもスタンプラリーのようなことを楽しんでやっている。

勝手にスタンプラリーに仕立てて、目標を立ててやっている。

行く街、行く街で東京の街とはまた別の次元で違いもあって、当然訪れる季節によっても違いがあって楽しめる。

スタンプラリー的な目標の立て方は単純明快でいい。

たまに僕も人生に迷ったり、本当にしたいことは何かとか、これでいいのかとか頭によぎるけれど、

スタンプラリー的な目標を立てれば、それにとりあえずは向かうだけだ。

あとのことはスタンプを全部集め終わってから考えよう。

スタンプを自分が集めて、自分だけが楽しんでいては空虚な気持ちになるのも、わかってきている。

でも、それは大人になってスタンプラリー的な目標を立てているからこそ、わかることだったかもしれない。こうしてそれにちなんだ文章も書ける。それだけで充分ではある。

次の目標が、もうスタンプラリー的な目標を立てるのはやめよう、自分だけを楽しませるのはやめようというのでもいいと思う。

でもまずは、集め終わってから。

目標をクリアすると、しばらくはそれをやり遂げたという感慨に浸っていいと思っている。毎日全速力で走れるわけではない。

やり遂げた感に浸って何もせずに漫然と過ごしていると、また、不思議とこういうことがやりたいというのが出てくる。

その繰り返しでいい。

とどのつまり、自分で見つけるしかないのだから。

もうスタンプラリーを人から与えられなくても見つけるくらいはできる。

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