海外に住んでいると、日本のニュースに疎くなる。
これは、一見仕方のないことのようで、今の世の中、取ろうと思えばいくらでも情報は取れるので、少し怠慢も混じっている。
何年か前に、チリに旅行に行ったときに、駐在中だった友人が日経新聞の電子版を読んでいた。チリでも日経新聞を読んでいるのかと、少しの驚きと敬意を覚えた。日系企業からの駐在という意味ではあるべき、むしろ、当たり前の姿かもしれないが、意識しないとできないことでもある。
僕は今、Wall Street Journalと日経新聞を読んでいる。どちらを読む頻度が高いかと言われれば、WSJであり、日本のニュースはやはりなぜか、遠いものに感じて読むのを怠りがちになる。
仕事でも英語に触れ、英語のニュースばかりに接していると正直、日本語の情報に触れたいという今までは感じなかった欲求が湧いてくる。そんなときに日経新聞はちょうどいい。
僕は、日経新聞の土曜日朝刊の読書欄が好きだ。海外で暮らすことのデメリットの一つとして、その中で好きそうな本があった場合に、さっと手に取ることができないことだと感じている。実際、読書欄に載っていても、本屋に行って、自分に合いそうか確かめるひと手間が欲しい。もちろん、すぐにKindleで買うことも可能だけど。
ちょうど、今週土曜日の朝刊で、若松英輔さんという批評家が『「書く」という営み』と題して寄稿していて、いたく共感したので、最後にリンクをつけておきたい。
どんなに自己を知らずにいるか、自分の書いたものを読み返して初めて気がつく
Paul Valery『文学論』
書くという営みを行う目的を改めて考えさせられた。
「書く」という営み~ヴァレリー『文学論』:日本経済新聞https://www.nikkei.com/article/DGKKZO73883100V20C23A8MY9000/