エッセイ

街で生きる

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街で普通に生きている人の暮らしを感じたいなと思うようになった。

「普通」という言葉の定義は難しいけれど、

あえて言えば、こんな感じか。

例えば、東京で暮らす人は、年がら年中、もんじゃ焼きを食べているわけではないし、歌舞伎もそんなには観ない。落語だって聞かないし、相撲や野球も、実際に観に行くのは、限られた人で、行く人でも年に数回。そういうのは、そこで暮らしている人にとって、普通ではなく、どちらかといえば、特別なことなのだと思う。

だけど、東京で暮らす人は、普通に、地下鉄に乗って移動するし、コーヒーショップで時間をつぶすし、雨の日には傘をさす。傘がなければ、コンビニでビニール傘を買う。たまに、酔っぱらって、ビニール傘をどこかに忘れる。街には、この時期、どこかの誰かが忘れたビニール傘があちらこちらに見られる。こういうのは、普通のことだと思う。

街に生きるというのは、そういう普通なことを、自分自身でもするようになることだと思う。

僕はそんなわけで、今日、バスに乗りたくなった。衝動的に、やりたいと思う、小さなことを抑えられない。

日本では通勤・通学定期という仕組みがあるからか、単に面倒だからか、今日はこの行き方で会社に行って、明日は違う行き方にしようみたいな発想はない。

今、僕は幸か不幸か定期がないので、別にどうやって行ったっていい。

いや、定期があったって、本質的にはどうやって行ったっていいんだ。

バスに乗りたいと思ったのは、毎日、何も考えずに地下鉄に乗っているのが、少し嫌になったからで、安全を考えるとか、街を見ることができるとかは、後付けの理由だ。

1つの手段に、極度に依存しない生き方こそが自由だ。

今、Lexington Ave、通称LEXに住んでいる。ちなみにこの通称というのが好きだ。

それはともあれ、LEXには、バンバンとバスが往来する。会社にバスだけで行くには、乗り継ぐ必要があって、時間も余計にかかるし、少し面倒なのだけれど、そんなことより、バスでたどり着きたい。

そう強く思って、バス停でバスを乗り継いだ。

地下鉄の中だって、街の人たちの会話が聞こえるはずだけど、バスの中は、会話が良く通る。街で生きている感じがする。

さっきも書いたが、バスからは街をよく見えるというのは、後付けの理由だけど、それはそのとおりで、住んでいるところを好きになれる一つの方法なのかもしれない。

帰りもバスで家路についた。バスを降りたら、雨が降ってきた。いつもより、雨の香りを強く感じた。

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