エッセイ

4年

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オリンピックはなぜ4年に1回なのだろう。

古代ギリシャでは太陰暦に基づいて8年が1つの区切りとされていたらしい。それを短縮して4年に1度。

5年のほうが区切りが良いように思うのは自分自身の文化的な固定観念からかもしれない。

そういえばアメリカでビジネスをする人は20分を一区切りにミーティングを設定する。

Zoomのベーシックプランでのコールが40分なのも20分×2ということなのだと思っている。

それはさておき。

NYでの生活が丸4年を迎え、この4年を振り返る時が来たように感じる。

とある人が、仕事上、「1年目は慣れ、2年目は悩み、3年目で成果を出し、4年目はおまけと思え」

と言われたと聞いた。

2年までに悩まず、3年目が終わった時にふと、やり切ったのか、何か残したのかと自問自答し始めた。

そして少し悩み始めた。上の例でいえば2年目に逆戻りしたことになる。

そして、4年目、仕事面では、僕はボールを持って走ったような気分でいる。結果的に全くおまけにならなかった。いや、そのこと自体がおまけということなのかもしれない。

やり切ったかと言われれば、そうではないかもしれないけれど、少なくとも、走った。

そういえば、プライベートでは、マラソンを走るのを3年目にやめた。

走らないで、歩くことにしたら違った風景が見えた。

今日は、何か文章を構成して、うまくまとめたように書くのではなく、単に書きたいので、書いているので、少し脱線したい。

NYとは、どういう都市なのだろう。

ちょうど今年はNY市長が変わり、Rent Controlの物件に対する政策や、子育て施策に関心が集まっている。

都市をどのような面から見るかで、どのようにも評価できるだろう。

物理的に汚いということだけを以て、その都市を判断することもできなければ、スピーディなビジネス環境だけで良いとも言えない。

ただ、NYという街は、世界の色々な場所から、偏りはあるかもしれないけれど、人がそこでビジネスをしたり、何かを成し遂げたいと集まってくる街だと感じる。

それは、日本の都市には欠けている、いや、不十分な点かなと、生活をしていて思うようになった。

都市を創るのは、高層ビルや公園やインフラだけではなく、そこに集まったり、暮らす人だろう。

どういう人を集めてこられるかで、その都市の魅力や汚い部分も変わってくる。

翻って、4年という年月で僕に何が残っただろうか。

僕は、人が成長するということに懐疑的だ。成長したね、と評価するのはいつも他人で、そういう他人の評価はいったい何に基づいているのだろう。そんなに人って変われたり、成長できる生き物ではないように感じる。

僕は小学生の頃と同じように、どこに何を入れたのか忘れて、その時よりもさらに劣化して記憶まで失うこともある。

それも傍に置いておこう。

あえて言えば、この4年は違う環境で生きてみたということだろうとは思う。

今日、何か残るものを買いたいなと思って、買い物に出た。

NYの何かしらかにちなんだものを買ってみるのもいいかもしれないと思ったけれど、

僕が結局買ったのは、近くのドイツのハム屋のロゴだけが刺繍されている、ニット帽だった。

$20。

これをいつか被ったら、この日々を思い出すかもしれない。そう思って手にした。

何か、思い出に残るような旅にも出たし、「モノよりコト」と口にするのは耳障りがいい。

でも、正直、忘れてしまう大事なコトや綺麗な風景もある。

誰もが一度は訪れたいゴルフ場に行っても、一緒にラウンドしてくれる人がいなければ、何か残るものがあるだろうか。

そして、話はやはりここに戻るけれど、NYの価値というのは、そこに集うヒトだろう。

その人たち、一人一人がこの街を創り出す。その意識がなくてもそういうものなのだなと思う。

そして、僕自身のこの年月も、ヒトとの出会いや別れに彩られて、色彩鮮やかなものになった。

一人で食べに行ったイタリアンよりも、誰かに言ってもらった一言を今も覚えている。

一人で観た白熱した試合よりも、誰かが隣にいて勝手にゲームが終わりそうな9回裏がいい。

それはどこの街に行ってもそういうものだろうと思う。

そういう彩りに感謝したい。

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