エッセイ

遠回り

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曇天の日。少し小雨交じり。

前日の宴が深いお酒になって、午後まで頭の痛さが残った。

このところ、気持ちがざわつくことが多く、周りの人に対する心配りや余裕を簡単に失うものだなと痛感する。

ただ、一直線の道をすんなり行くよりも、遠回りすると気づけるものも多いかもしれない。

職場の後輩が、何かを見越したかのように、「何か立ち上げようっていうときには、声かけてくださいね。ついていきますんで」と声を掛けてきて、その言葉に救われる面もあり、はっとさせられる気持ちにもなる。

外に出て何かをする気持ちにならない天気なので、ふと、惰性に任せるがままYoutubeをつけると米津玄師と満島ひかりの対談にありついた。

米津玄師はRadio City Hallでコンサートをした時に友人に誘われて行って以来、勝手ながら思い入れのある歌手になった。

満島ひかりの作品を今年はよく見ていて、こちらも勝手ながら同世代としてファンだ。

対談をぼーっとした頭の回転の中で聞いていて、この二人は独特の感覚の中で、その時を生きている人だなと改めて感じる。

一方は遠回りという言葉を歌詞に使い、一方はその言葉が使われる歌を主題歌にお芝居を演じている。

対談の中で満島ひかりが、遠回りの人生を生きたいと語っていて、それが心に残る。

小学生の時、学校からの帰り道、いつもと違う道で渋谷駅までかなり遠回りして帰った日、そういう日のほうが今も記憶に残っている。

何か目的地まで最短ルートで行くように求められたり、それが評価を受けたりしがちだけれど、

遠回りをすると、道端に咲く花に心が留まるようになるのかもしれない。

というわけで遠回りしよう。

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