
今年、僕は桜の花を見逃した。気づいたら緑が映える季節になっていた。
あんなに桜のつぼみが大きくなり、花開くのを楽しみにしていたのに、
いざ桜が咲き始めても、何となく気管支炎のような咳が残り、敢え無く桜を断念した。
その間、お酒をほとんど呑まず、お酒を飲まないとこんなにも、頭の調子はいいのかと身体の調子とは裏腹に嬉しさを覚えたりした。それを周りの人に聞かれてもいないのに話したりもした。
美しいものを見逃した残念さは強い。ただ、この4月、普段より、よく回転していると錯覚する頭で、色々と感じることがあった。
何かいつもの4月よりも敏感で、体調は悪いのに、得られるものが多かったと振り返る。
その一つをここに書きたい。
4月の下旬に、NYの不動産ファンドのトップとレストランオーナーの会談というセッションを聴く機会があった。
レストランオーナーが、どういう人に自分のレストランで働いてもらいたいと思うのかと尋ねられていた。
You are the #1 reason that the rest of them want to work for.
そう答えていた。
不動産とレストランの関係についても答えていた。
The idea will be evoleved and Real Estate is a frame, which will not be changed but will be creating creativity.
絵画と額縁に例えていた。
そうか、素敵な絵画があっても額縁が陳腐なら、もったいない。
でも逆に、素敵な絵画や額縁が、その周りを照らすこともあるらしい。
現に、そのレストランオーナーは、周辺のコミュニティをより良いものにしようと、周りの公園の清掃費を負担しているらしい。しかも聞くに小さな金額ではない。
そのレストランがあるから、周りのコミュニティが良くなる。最初からコミュニティが良いところに必ずしも出店しなくてもいい。
なぜなら、自分たちでコミュニティをよくできると信じているから。
こういうことだよなと響く言葉だった。
野球選手の価値は、本来、所属している球団自体にはなく、その選手本人にあるし、絵画の価値は、どの美術館に飾られているかではなく、その絵もしくは額縁も含んだその絵自体にある。
1人の選手や1つの絵画によって、そのチームや美術館の価値は変わる。
組織という額縁を与えられても、飾られる絵画にも似たメンバー自体が美しくなければ価値はない。
素敵なレストランが一つあれば、その街自体が訪れる価値があるものになるし、そのレストランが周りの環境にだって影響を与える。
探すべき真理なんてないと思っているけれど、もし、そういう存在になれたら素晴らしいとそのセッションを聴いて思っていた。
変わりゆくマーケットの話よりも、変わらない価値があるように聞こえるその話を胸にとどめた。