エッセイ

本当に価値があると思えるもの

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この1か月くらい、本当に価値があると思えるものについて考えていた。

すごく抽象的な概念で、1つには定まりようがない。

まず、価値というのは何だろうか。こんなことを考えているうちに文章を書く手は止まってしまった。

わかりやすく言えば、価値というのは現代社会に生きれば、お金をかけてもいいものということか。

沢山のものやことにお金をかけすぎて、もはや何が価値あるものかなんてわからない

去年、日本で少しだけ時間を過ごせるタイミングがあって、祖母に会った。

今でも祖母とLINEをしている。

会う時間が限られると思える人とのひと時や、その時の言葉は価値がある。

「あなたはあなたの人生を楽しむのよ」そう言われた。

もう何度会えるかわからないけど、やはり会いたいと思う二人の時間がそこにあった。

僕はフライト代には代えられない価値を感じた。

東京でずっと暮らしていたのでは味わえない価値、それは大事な人にすぐには会えない距離と比例する価値か。

人はどうやったって死に向かって否応なく生きるから。

みんなそういう年代ではないと思いがちだから、死を考えないけれど、僕はいつからか、死を意識して生きている。

世界で誰もが行きたいと思うゴルフ場があるとして、そこに名前が挙がるゴルフ場にも行った。

日本でも、実はそういう場所のいくつかに行ったことがある。

改めて、ゴルフは誰とその時を共にするかを求めてプレーする遊びだと気づく。

「あなたが好きだと思える人と一緒にいるのが大事」かなり年配のゴルファーに言われたことがある。僕をとある仲間に入れてくれた人だ。

お寿司屋だって、大将の生きざまに触れてこそ、心が躍る。

単に1貫ずつ食べるのではなくてね。

もはや食べに行っているわけではないんだよねお寿司って。その空間を味わいに行っている。だから、そのお寿司美味しいの?って聞かれても答えに窮する。

大事なのはやはりその時を一緒にする人たちということか。

共感を得ることだけに価値があるというわけではない。その時々で、その場と時を共にする人たちが、それぞれ、どのような感情を持っているか、なんとなくわかるというのも価値のあることだ。

本当に価値がある時間を過ごすときに、誰といるかということが、やはり一番大事だろう。

お金なんてそこまでかけなくても、Barには誰かと行けるし、

ホームパーティで何かしらかの振る舞いもできるけど、

その一つ一つって何のためだろう。

もしかしたら、それ単体では価値がないことがあっていいのかもしれない。

それが翻って、本当の価値に気づかせてくれる何かになれば、

それ以上の価値はない。

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