エッセイ

手を貸そう

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「手を貸そう」というのが、ボーイスカウト・ガールスカウトの合言葉だったらしい。

昔、ガールスカウトに入っていたらしい母から聞いた。ちなみに僕はボーイスカウトには入らなかった。

今年のテーマとして密かに定めているのが、この「手を貸そう」というフレーズだ。

なかなかできることでもないけれど、意識をしているだけで違うかもしれない。

仕事帰りに食料品を買って、Lexington Aveまで歩いていた。

59th st駅を目指していた。この間も書いたけれど、だいぶ暖かくなったので、何ブロックか歩く気になる。これが春の訪れだ。

小雨が降る、曇天。

Lexと59th stに差し掛かり、地下鉄の階段を下ろうとしたときにベビーカーを押すアジア系の女性に声をかけられた。

「このベビーカーを一緒に持って階段を下ってくれないか」とお願いされた。

もちろん手を貸すことにした。結構長い階段で、最初に肝心なことを聞き忘れたので、僕はその女性に、お子さん、このベビーカーに今座っているんだっけ?と階段の途中で尋ねた。

僕の角度からは、ヘッドカバーのせいでお子さんが乗っているのかどうか、見えなかった。

その女性は、何を当たり前のことを聞いてくるのかというトーンでSureと答えた。

そうだよね、だけど、子供が座っているかどうかによって、力の入れ方が変わってくる。座っていたら、絶対に落としてはいけないのだろう。

僕が下り階段を先に下り、上に奥さんが見える構図になる。

Manhattanのイケていないところを言えばきりがないが、子供にやさしい都市なのに、ほとんどの地下鉄の駅にはエレベーターがない。この国の人たちは、力持ちだから、ベビーカーくらい軽く持ち上げるのだろうけれど、それは夫婦2人が行動を共にしてこそ成り立つ。1人ではやはりどうにもならない。

今どきのベビーカーは、ずいぶん軽いのだなと思い知らされる。

無事、階段を下り終えて、アジア系の女性に御礼を言われた。

僕たちの後で階段を降りてきた白人系の女性が

That was nice of you!

59th stの階段を下りてきた女性

と僕に声を掛けてくれた。

僕が先ほどのアジア系の女性と夫婦ではないのだとわかって、言ってくれたのだろう。

不便だからこそ、手を貸す場面に出くわすのだろうか。

今でもなお、ボーイスカウトやガールスカウトの合言葉が「手を貸そう」というものなのか、僕はやはり知らない。

そういえば、ベビーカーに座っていたお子さんの顔を見忘れた。知らなくていいことも多いものだ。

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