エッセイ

季節の変わり目

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3月下旬、というか最終週に体調を崩した。

咳がなかなか収まらず、楽しみにしていた期末の送別会や打ち上げやら何やらを一通りキャンセルした。

「英断だな」と、同僚にはからかわれたが、とても参加できる体調ではなかった。

3月中旬くらいから、少し不規則な生活をしていたのと、最終週に緊張感のある日を迎えたのが理由だったように思う。

「最近、緊張したこと」としては、少し堅めではあるが書いてみようかと思う。

日本から投資家のお客様を迎え、NYの案件を案内したりファンドの責任者に会ってもらうという、書いてしまえばごくごくありふれたことなのだけど、そういう日があった。

僕は案内の同行者兼、諸々の説明者・アマ通訳としてその場にいたわけだけれど、いつにも増して、素朴な疑問にも答えようとしたり、「この人、本当はわかっていないんじゃないか」と思われるのを避けたいと感じるシチュエーションだった。これが緊張するということなのだろう。

その前の週の日曜日に、対象となる案件を下見に行ったり、その場で感じたことを書き留めたりもして、気持ちの上で準備万端で臨んだ。

結論から言えば、気が張っていたがゆえに、失敗したというものではなく、滞りなく1日を過ごすことができたように思うし、お客様や周りの方からも感謝のコメントがあった。

ただ、僕はいつも振り返りの自己評価が甘めなので、本当のところ、どう感じられたのかはよくわからない。

本来なら滞りなく終わったのだし、めでたし、めでたしなのだけれど、

なんとなく体調が下降気味だったこともあり、僕は珍しくその後、自分にとってネガティブな振り返りをした。

この日のように、思いを込めて、準備を怠らず、いつも仕事をしているだろうか。

たまに気持ちを張り詰めて、こういう全力出している感があることをやるけれど、それすら全力を出せているかはわからない。

日常は、惰性で、何となく自分ができる範囲内で生きている感がある。

ただ、いつもいつも一生懸命では何だか疲れてしまうし、気持ちも持たない。

それでも、生活の場所を移したときのような新鮮味を持って、物事に対処したほうが、こうやって気づきも得られるのでは。

他人にしてもらいたいと思うように自分自身もやろうと思うところからすべては始まって、思わなければゼロのまま。

なんだか、考えているうちに体調が悪化してきた。体調が戻ったら、きっと新年度になっているな。この思いを継続できるだろうか。

結論は霧の中。

だけど、緊張するのもたまにはいいな。気づきがある。

そういうことにしようと思ってベッドに身体を滑りこませた。

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