日本を発つときに、絶対に日本語の活字が恋しくなると思って、何冊か本を持ってきた。その中の1冊が、『向田邦子ベスト・エッセイ』である。
向田邦子は言わずと知れた脚本家であり、小説家でもあり、エッセイストでもある。僕が生まれる前に、飛行機事故で亡くなっているので、生前のことは知らない。
祖母に、「向田邦子の本が好きだ」という話をしたことがあり、私と同い年だと喜んでいた。実は、彼女の書いた小説や脚本のドラマはあまり見たことがないのだが、僕は、東京からニューヨークに持ってくるくらい、とにかく彼女の書いたエッセイが好きだ。
特に好きなのが、電車の窓からライオンを見たという『中野のライオン』、そしてその後日談を語る『新宿のライオン』で、人間の記憶の不思議さや、そしてそれを書いて誰かに知らせることで、素敵な展開になっていく様子が描かれている。
不思議なことに、記憶というのはシャッターと同じで、一度パシャっと焼き付いてしまうと、水で洗おうとリタッチしようと変えることができないのである。
向田邦子
僕も記憶というのは曖昧なものでありながら、自分の中では一つのものとして残り続けるものだと思う。その場にいたみんなが同じ風景を見ているはずなのに、それぞれの記憶に残るものは違う。自分自身の記憶だって、後から書き換えている可能性だってある。だからこそ、書くという行為は、記憶の原型を残しておく意味でも、尊いと思う。向田邦子のエッセイを読むたびに、そんなことを思う。