
バタバタと東京に帰ってきて、年度末までに休みを取ることになり、それならばどこか日本以外に行こうと考えた。
兼ねてより、同僚のご夫妻からお誘いを受けていたので、南京に行ってみることにした。
僕が日本を離れている間に、思いのほか日中関係は悪化しており、訪日中国人が少なくなってきていることはよく報道されているけれど、そもそも、南京を訪れる日本人も少ないのだろう。日本人を見かけなかった。
誰かが訪ねてきてくれるというのは、結構嬉しいことであるはずだ。
皆、「南京に行ってみたいとは言うけれど、実際に来る人は初めて」と歓迎された。
南京は、明時代の歴史を味わえる、古都。日中戦争時には、南京大虐殺の舞台にもなった暗い過去も持つ。
一方で、孫文が南京の街並みを愛し、死後、孫文の墓として中山陵が建てられたように、三民主義や民主自由主義が今でも市民にも愛されているように感じる。写真の松は日本人実業家から孫文へのプレゼント。
中国というと、どうしても小学校の頃に学校の日中交流イベントで訪れた際の印象が強い。
その頃、中国の男性用トイレは、一つずつに区切られておらず、横の人と同じ水が流れる仕組みだったことを思い出す。
ペットボトルのミネラルウォーターを飲んでおけばお腹を壊さないと伝えられ、安心していたが、ふと手にした中国製のコアラのマーチにお腹をやられたことも、今となっては良い思い出だ。
時は30年近く経過して、中国は目まぐるしく発展を遂げたのだろうと感じる。
街を走る電動バイク、AlipayやDidiの普及、アパートには宅配用ロボット、例を挙げればきりがない。
中国の都市を歩く中で感じるのは、圧倒的な都市への人口集中、そしてやはり、中国人コミュニティの強さ。
南京で暮らす人が、日本の不動産に中国の投資家が興味を持つのはいいと思う一方で、いつか中国コミュニティ間だけで不動産がやり取りをされるようにならないか懸念していたことが、旅の印象としても残った。
僕はその話を聞きながら、NYのフラッシングのチャイナタウンの様子に想いを馳せた。やはり旅をすると、ふとした会話が心に残って、それがいい。
飛行機で行けば、2時間足らずで、なんだ、NYとCharlestonと同じくらいじゃないかと最近行った旅行に重ね合わせて考えて、物理的な距離は近いのに、心理的な距離はそこまで近くないことが不思議に思える。
その不思議さがどこから来るのか興味があり、やはり中国の歴史や言語を学んでみようと思わされる。
帰りに、上海で豫園に立ち寄った。豫園すら30年前に来た時とは異なって見える。
変わらない建物の景色の周りに、古い街並みのイメージを残した新しい店舗が建ち並び、そこでもまた移りゆく街を感じるのだった。